この10月7日、スウェーデン王立科学アカデミーから、2026年の「ノーベル化学賞」の発表がありました。受賞されたのは、東京大学出身で、東京理科大学名誉教授の硤合(そあい)先生と、フランスのカガン先生のお二人です。受賞理由は、不斉有機合成における非線形効果と自己触媒反応の発見とされています。
この知らせを目にしたとき、私は思わず声をあげてしまいました。私自身、東京大学工学部の応用化学科で長く「触媒」という分野に向き合い、博士号を取得しました。硤合先生は東京大学理学部出身で、学部は違いますが、同じ化学の触媒のジャンルを志された先駆者ですから、これほど心の躍る受賞はございません。そして何より、日本の研究者がこのような形で世界に認められたことを、同じ日本人として心から誇らしく思います。日本の化学研究が、長い年月をかけて世界の最前線を切り拓いてきたことの、確かな証しであります。
私事ではありますが、私が初めて世に出した論文も、「触媒」に関するものでした。1992年にChemistry Letters に掲載されたもので、ニッケルを酸化マグネシウムと酸化カルシウムに塗布した触媒を用い、メタンによって二酸化炭素を還元するという内容です。地球温暖化の原因とされる二酸化炭素を、天然ガスの主成分であるメタンと反応させて、一酸化炭素と水素からなる合成ガスへと変えてしまおうという研究でした。合成ガスは簡単にガソリン等の燃料に変換できますから、簡単に言うと「二酸化炭素をガソリンに変える」研究です。当時すでに知られていたアルミナ担持のニッケル触媒は、炭素が析出して一日で働かなくなってしまうのですが、カルシウムを加えた触媒では3日を超えて安定に働き続け、炭素の付着も見られませんでした。塩基性(アルカリ性)の強い担体を選ぶことで、二酸化炭素が触媒の表面に強く吸着し、炭素の付着を防いでいるのだろうと考察しました。
触媒の世界では、このように、どの元素をどれだけ加えるかという、一見すると些細な違いが、性能を決定的に左右します。同じ原料から何が生まれるかは、触媒が握っているのです。その奥深さに魅せられて、私は研究の道をその後も歩んでまいりました。
またとない機会ですので、今回の受賞内容を、小学6年生や慶進中学2年生、公立中学3年などの生徒たちに、分かりやすい例えを使って解説しました。ここでも、その要点を記しておきたいと思います。
まず、触媒とは何かという話です。触媒とは、化学反応を速く進めるはたらきをしながら、自分自身は反応の前後で変化しない物質のことです。生徒たちには、中学校の理科で学ぶ酸素の発生実験を思い出してもらいました。過酸化水素水に二酸化マンガンを加えると「酸素」が発生しますが、あの二酸化マンガンは減りもせず、別の物質に変わりもしません。いわば、反応の進む道筋を近道に変えてくれる案内役です。地味に見えて、化学の根幹を支えている存在です。

次に、「不斉(ふせい)」という言葉を説明しました。自分の右手と左手を見比べてみると、形はそっくりなのに、どうやっても重ね合わせることができません。鏡に映した姿がもう一方になっている、という関係です。分子の世界にも、これとまったく同じことが起こります。原子の種類も数もつながり方も同じなのに、鏡写しの関係にあって重ね合わせられない、そのような二種類の分子を鏡像異性体と呼びます。この左右の別があることを、不斉と言うわけです。
ところが、ここに不思議な事実があります。普通に化学反応を行えば、右手型と左手型はちょうど半分ずつできるはずです。にもかかわらず、地球上の生命を構成するアミノ酸や糖は、どういうわけか一方の型だけでできているのです。なぜこのような偏りが生まれたのか。これは長らく、生命の起源をめぐる大きな謎とされてきました。しかもこの左右の違いは私たちの暮らしにも直結しており、医薬品の中には、一方の型が薬として効く一方で、サリドマイド事件のように、もう一方の型は毒になってしまうものさえあります。
カガン先生は1986年に、一方の異性体を多く生み出す手法を見いだされました。そして硤合先生が1995年に発見されたのが、不斉自己触媒反応、いわゆる硤合反応です。
この反応の何が驚きかと申しますと、どちらか一方の型がほんのわずかに多いだけの状態から反応を始めると、できあがった生成物それ自身が触媒となって、自分と同じ型の分子を次々と生み出していくのです。しかもその増え方は、単なる足し算ではありません。1が2を呼び、2が4を呼ぶという具合に、指数関数的に偏りが拡大していきます。ごくわずかな最初の傾きが、やがて圧倒的な差へと育っていく。生徒たちには、この点こそが最も美しいところだと伝えました。
私が扱っていた触媒は、あくまでも反応を助ける外側の存在でした。けれども硤合反応では、生まれた物質そのものが次の反応の触媒になります。触媒と生成物が同じものであるという、この発想の転換の鮮やかさは、同じ分野に身を置いた者だからこそ、なおさら驚きをもって受け止められるものです。
自分と同じものを作り出す触媒という発想は、生命が自らを複製していく営みとも重なります。だからこそ、この発見は新しい医薬品の合成法につながるだけでなく、地球上の生命がなぜ一方の型だけを選んだのかという、生命の起源そのものを解き明かす手がかりとして期待されているのです。目の前のフラスコの中の現象が、40億年前の地球へとつながっていく。基礎研究というものの底知れない奥行きを、改めて思わずにはいられません。
さらに、受験生のクラスでは、次のような進路の話を加えました。
慶進中学校や宇部工業高等専門学校(宇部高専)、さらに、特に宇部高等学校の文理探究科を推薦で志望する生徒にとって、今回の話題はぜひ知っておいてほしい内容です(宇部高校卒の本庶氏が、8年前にノーベル生理学・医学賞を受賞されたことは記憶に新しいことです)。
この種の入試では、面接や口頭試問において、科学や社会の出来事にどれだけ関心を持っているかが必ず見られます。そのとき、「ニュースで見ました」という一言で終わるのか、「触媒とは何か、不斉とは何かを自分の言葉で説明できるのか」では、伝わるものがまるで違ってまいります。難しい専門用語を並べる必要はありません。右手と左手のたとえを使って、自分なりに語れるようになっておけば十分です。
さらに文理探究科を志望する生徒であれば、ここから一歩進めて、「なぜ生命は一方の型だけを選んだのだろうか」と問いを立ててみてほしいと思います。答えの出ていない問いに向き合い、自分なりの考えを述べてみること。それこそが探究という営みの出発点であり、そうした姿勢は面接の場でも必ず伝わるものです。
この日の授業でも生徒たちにこういったことを語りながら、ニュースを単なる情報として流さず、そこから問いを引き出す習慣を持っておいていただきたいと強調しました。
硤合先生が不斉自己触媒反応を発見されたのは1995年のことですから、今回の受賞まで30年あまりの歳月が流れています。すぐに答えの出ないものを、それでも面白いと思い続けられる力こそが、科学を前に進めてきました。その面白さを子どもたちに伝えたいという思いで、私は今この教室に立っております。今回の受賞が、生徒たちの中に小さな問いの種を残してくれることを願っております。


